丁寧な教育は落ちこぼれを救うかもしれない。
言い換えれば
丁寧に教えなきゃ解らんような人にも解らせる事ができるかもしれない。
でも丁寧に教えなくても勝手に理解する人はそれを必要としない。
それに
「自分を差別化できるような切り札を
講義か何かで教授が誰にでも解るように親切丁寧に教えてくれた」
っていうのは有り得ないと思う。
他の人がそれを知らないってことは
つまり「はっきり教わったわけじゃないけど、知ってる」ということだろう。
補足:
なんで皆が過大評価するかっていうと
教育者がポジショントークとして教育の力を語るからだと思う。
保険屋は「保険に入らなきゃ酷いことになる」って言うし
芸術家は「感動こそが生きる意味」って言う。
そういうポジショントークは何処にでもあるんだけど
教育者は圧倒的に有利なんだよね、子供相手に刷り込めるから。
補足2:
勝手に理解してさらに先に進む人が何かを必要とするとしたら
それはたぶん「活躍の場」だろうね。
補足3:
厳密に言えば、一子相伝の秘法とかなら
「自分は教わったけど、他の人はそれを知らない」
ってことになるか?
まあでもそうなってくると公共の教育とは全く別の話だな。