akasaka_34の日記

ネトウヨと呼ばれた男の日記。しかし頻度から言えば週報ぐらい。

論文の言語

たとえば誰かが日本語で凄く良い論文を1本書けば
それによって日本語が読めることの価値がちょっと増す。
論文1本ならちょっとだけど、沢山あればちょっとではない。

そう考えると大学が「××を英語で」って言うのは
本当はあんまり良いことじゃないのかもしれない。

いま僕が自分の専門に関して何か論文を書くとしたら
たぶん英語で書くだろうけどね。
でもそれは僕のエゴイズムから出てることで
社会の側からは
「あんた英語でも書けるのかもしらんけど日本語で書きんさいよ」
という話になるほうが自然な気もする。

まあ大学は社会の味方である以前に
学者と学生の味方であるものなのかもしれんが。

補足:
エゴイズムってのは言い過ぎというか偽悪的かな。
そもそも自分のために自分で書くのは悪いことではないし。