叩いてよいとされるものを叩く行為にはある種の快楽がある。
というところまで理解できているなら
学校の先生が
「天皇陛下のために死ねる人間にならなければ駄目だ」
と言うような状況を想像するのは、そう難しくないはず。
言う側には快楽があるんだよ。
そしてそれは過度に単純化された正義でなければならない。
それが本当に「やればうまくいくこと」なら
(ウンコしたらケツ拭けとか)
ほとんどの子供が実際やっちゃうから
「おまえらは駄目だ!」
って言えなくなる。
補足:
「反差別」の単純さに違和感を持たない人がたくさんいるとしたら
そのへんから来てるんじゃないかと思う。