増田で
「オリンピック反対派は一枚板ではない」
という書き込みを見た。
でも僕はオリンピック反対派同士で
「余計なことすんな」
とか
「そういう問題じゃねーんだよ」
とかいうやりとりするのを見ていない。
看板に掲げられた文言で分類してみたところで
自浄作用という観点から見れば一枚板なんだよ。
だから気がついたら総会屋の一味に加わってる。
(総会屋的手法、再び - akasaka_34の日記)
補足:
逆に賛成派に関しては
「賛成派からも懸念の声」
みたいなのを何度か見てる。
補足2:
ちなみに僕はそもそも彼等が掲げる看板を信用していない。
実態を考えれば
- 反日勢力
- なんか煽られて同調してしまった人達
に分類するのが適切だと思う。
そうすれば看板がバラバラでも
勢力として一枚板である理由も理解できる。
補足3:
ところで、ひろゆき氏は
「金があれば何をしても許されるのか?!」
を地で行くような人物だが
あれも仲間ってことでいいのか?